圓頓寺の歴史

 

常明山圓頓寺縁起

常明山圓頓寺縁起
 
當山は、熊本県北部にある山鹿温泉街の中心に位置する。
 
寺域は、天正十五年(一五八七)七月上旬より半年に亘り、
肥後領主佐々成政に反抗した主導者隈部親安に組し、
遂に亡んだ山鹿重安の居城、山鹿城跡(一名清瀧、上市城)にあり、
現在も山鹿重安の霊を供養する板碑と
その一族重臣を供養した石造小祠や位牌などが寺内にある。
狩野洞容寿信による本堂天井の龍の絵と山鹿城主一族供養の
毘沙門天位牌などが奉安されている。
 
この地に、寛永元年(一六二四)甲子の歳、
本光院日授上人により、開基創建された。
 
この香華道場は、旧本山・発星山本妙寺の直末で、親師法縁である。
天保六年(一八三五)乙未七月十六日、本堂を焼失した。
しかし、十五年後の嘉永二年(一八四九)乙酉の歳、
第二十一世妙園院日導上人、第二十五世本浩院日正上人により、
本堂(入母屋破風造、梁間七間桁行七間、木鼻、虹梁に浮彫の彫刻が有名)
が再建された。
 
江戸、明治、大正、昭和初期まで、
温泉町として随一に殷賑を極めた町は山鹿町であった。
だから「湯の町」といえば山鹿町のこと。
 
日蓮宗としては、肥後之国城北の地でも随一の山鹿の寺であるので、
同宗寺院の間では「湯の町寺」と言えば當山のことを指す。
創建より法灯継承、現住 順境院日攝代まで、三十四世護持相伝されている。
 

日蓮大聖人御尊像

日蓮大聖人御尊像
 
 
善行院(順意院)日助上人(天和元年辛酉九月三日(一六八一)本堂安置の
宗祖御尊像は、善行院日助上人の作である。
 
巧匠日助師字は順正坊、名は孫三、山口氏、善行院と号す。
 
肥後本妙寺第四世本住院日選師の門を投じ、本妙寺塔中正善院を創立し、
高田原本行寺第三世の法灯を襲ぐ、師は最も彫刻の技に長し、
且つ其の刻む所の像、霊験額る。
 
承応二年(一六五三)、玄題の五字を表して、祖師像五体を彫刻す。
肥後之国内の妙体寺の像、本行寺の像、妙立寺の像、宇土寿量寺の像、當山圓頓寺の像を刻し、
其の霊貌の甚だ他像に異なる覚えるもので、安置する縁由を以す。
 
 
勧請の日蓮大聖人像
 
本堂内陣
 

三宝尊御本尊・法華経一部経経巻・四菩薩立像四天王立像

三宝尊御本尊・法華経一部経経巻・四菩薩立像四天王立像
 
 
製作年代 元文五年(一七四〇)庚申仲冬
現住 第十二世 恵光院日曜上人
願主 當山檀越 木下円了
施主 久留米屋市右衛門
茶屋佐右衛門
額田勝兵衛
 
法華経一部経(下記)
 
 
 
 
法華経一部経経巻(三寶尊塔内蔵)
法華経一部経巻

 

法華経一部経巻

 

奉寄付大乗妙経圓頓寺三寶尊塔妙経全部

願赴者天○○○○○○○○○○長並當山

寺檀和合○○○○○○○○檀越家内安全

火不能焼○○○○○○○○自他供与同帰

常寂光而已○○○○○施主額田勝兵衛啓白

新奉造立三寶尊○○○奉彩色四菩薩四天王

檀越以合力多目願楽今己満足数年之祈誓尤

成就仰願當寺安泰佛(怫)災恠於万里之外伽藍

常住継惠炬於○○○○誓曰

元文第五庚申仲冬

        當山十二世現住 

奉開眼供養勧進説法五席

                       恵光院日曜  謹書

首題百萬遍   発願   當山檀越 木下円了

                              久留米屋市右衛門

                              茶屋        佐右衛門

 

(○は破損分) 

 

山鹿城跡山鹿重安公之供養位牌板碑画像と龍の絵図

山鹿城跡山鹿重安公之供養位牌板碑画像と龍の絵図
 
山鹿氏一族郎党供養位牌
 
毘沙門天位牌(絵図)
 
圓頓寺本堂内陣天井龍神絵図
   
山鹿重安公一族郎党之供養位牌について

 

山鹿城跡 山鹿重安公一族郎党之供養位牌について

 

當山に、狩野洞容寿信が画いた山鹿城跡山鹿重安公一族郎党之供養位牌がある。當寺は山鹿城跡(別名上市城・清瀧城ともいう)に在る。

 

山鹿重安公は、菊池の祖、菊池則隆の二男、西郷太郎政隆の四代の孫にあたり、天正十五年(1587)一族の隈部親安とともに、佐々成政に抗し、翌年、小倉で豊臣秀吉に殺されたという。この位牌板碑は、その遺徳を偲び、菩提を供養するものである。

 
制作年代 文政八年(1826) 現住 圓頓寺 第二十一世 妙園院日導上人
絵師 住南島 狩野洞容寿信 天保九年没(1839)位牌(表面)
 
 
 

山門掲額

山門掲額
 
 
山門正面に山号「常明山」と書かれた
山号額が掲げられ、
裏面に、掲額年代 享保十七年
(一七三二)壬子暮春
筆者 江村宗因     寿七十八
 

江村宗因について

江村宗因について
 
 
永禄八年(一五六五)より寛文四年(一六六四)に江村宗貞、字は専斉という人がある。
 
永禄年間、播州三石城主の江村民部孝典は
信長に圧追され、出奔して京都に隠棲した。
この曾孫が宗貞で、後に儒学で加藤清正に仕え、
また和歌の友として細川幽斉と交ったとある。
 
この江村宗貞の孫が宗因である。儒者の家柄であるとともに、
祖父も百歳の長寿者(寛文四年、後水尾天皇に鳩枝と黄金を長寿の祝いとして賜った)
で、長寿の家系であった。
 
山号額「常明山」は七十八歳の儒学者宗因の筆であり、
円熟雄渾の筆致は當山にふさわしい。
日蓮宗 常明山 圓頓寺
〒861-0501
熊本県山鹿市大字山鹿55
TEL.0968-43-2424
FAX.0968-43-7828
 
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