天保六年(1835)乙未七月十六日、本堂を焼失した。しかし、十五年後の嘉永二年(1849)乙酉の歳、第21世妙園院日導上人、第25世本浩院日正上人により、本堂(入母屋破風造、梁間七間桁行七間、木鼻、虹梁に浮彫の彫刻が有名)が再建された。
狩野洞容寿信による、山鹿氏一族の供養位牌に画かれている毘沙門天絵図や本堂の天井には、龍神が描かれている。この龍は寺の守護でもあり、雨の恵みをもたらし、火除けの神が祀られている。
檀信徒会館 (平成1年10月落慶)
山鹿城跡 圓頓寺門柱(平成6年7月建立)
山鹿家末裔 横浜市妙香寺第35世 宇都宮日行上人揮毫書
浄行菩薩像・水洗いの浄行さま
本堂の向って右前に奉安している石造りの「浄行菩薩」は、水洗いの浄行さまと呼ばれて、古来心身の汚れを除く菩薩さまと祀られ、この世を浄化し人々の罪を洗い清めてくれる有難い仏様ですので、体の悪い部分を洗い清めれば癒されるという。
俳人 栁仙花紅の墓
碑には、辞世の句
「月に来て 花に歸るや 二季鳥」が刻まれている。